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外資系金融機関勤務の著者がFXなどの投資系、金融系コラムを中心に書くブログ

人生に勝ち負けはあるのか

あなたの人生は勝ち組だろうか?それとも負け組だろうか?
よく勝ち組とか負け組なんて言われるけど、本当に人生に勝ち負けはあるのだろうか?ここで本人が満足していれば十分勝ち組だなんて言うつもりはない。そもそもそんな耳にタコができるほど聞かされた綺麗ごとで片付くのならこんなエントリーは書いていない。

大抵の人は、なんだかんだいって人生にも優劣、つまり勝ち負けがあると思っているのではないか。年収、社会的地位、美人な妻(あるいは夫)など、何かにつけて人は他人と自分を比較したがるものだ。そこには様々な基準で優劣がつけられる。人生に絶対的な勝ち負けがあるとは思わないが、少なくとも人は他人と自分の人生を比較し、そこに勝敗をつけたがるものなのだ。つまり、そこには何らかの形で人生の勝ち負けは存在するといえる。

勝負というものは相手がいて初めて成立する相対的なものだ。そして、勝敗の基準はある程度客観性のあるものが使われる。たとえば年収や勤めている企業名、職業、彼氏彼女の有無、配偶者/本人の外見、学歴などが主な判断材料として使われる。どの職業も社会が機能するためには必要なのだが、悲しかな、ネットでは土方=負け組、医者=勝ち組という構図が成立している。人生の勝ち負けとはそういうやや理不尽な面も含んでいる。

この人生勝負は物心ついた時から始まっている。親の年収や生活水準、通学している学校(高校や大学)など、様々なことに勝敗がつけられているのだ。就活の時期になるとこの勝負が一気に加速する。就職先で人生の優劣がつけられる。友人同士であっても無意識のうちに相手と自分を比較して優劣をつけてしまう。かたや有名大企業に内定している学生、もう片方は無名の中小企業や無い内定だったりする。すると、必然的に前者が勝者、後者が敗者となるのである。

中小企業に内定した学生がどんなに「やりたかった仕事」「大手じゃないけど優良企業」なんて言ってもお構いなしに敗者のレッテルが貼られる。それに、この学生だって劣等感を感じているケースが多いのだ。つまり、自分自身で負けたと感じているのである。

こういう話になると、他人がどう思おうが本人が満足で幸せならそれでいいという意見が出てくる。それは正しい。そう簡単に割り切れたら人生どんなに楽だろうか。
だが大抵の人は割り切れない。無意識にでも意識してしまう。他人の人生を

久しぶりにあった同級生。同級生は管理職になり年収1000万、かたや自分は平社員で年収400万。この差を意識せずにいられるだろうか?大学生でも同じだ。友人は誰でも知っている超有名企業、かたや自分は地元の名も無い零細企業。表面上は涼しい顔をしていても、意識せずにはいられない。

どんなに綺麗ごとを言おうと、人生に勝ち負けは存在する。それはあまりにも身勝手で理不尽なものだが、人は自分の人生と他人の人生に優劣をつけてしまうものだ。人間は他人、特に自分に近い人間と無意識にでも自分を比べてしまう。そして、人間は簡単にその比較から生まれる「差」を割り切れない。割り切れない限り、あるいは自分の人生に本当に満足して幸福で満たされない限り、人生は勝ち負けをつけられる。

人生に勝ち負けをつけられても気にしない人生にしたいものだ。

「勝ち組」の男は人生で三度、挫折する (中公新書ラクレ)

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