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Googleが存在しても知識の記憶が必要な理由

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photo by Thomas Hawk

インターネット時代は知識なんて意味がない。全てGoogleで検索できるのだから。重要なのは知恵や創造力だ。

こんな声をよく聞くようになった。たしかに、インターネットが普及したために情報が持つ価値というのはインターネットが登場する前に比べて格段に低くなった。大体の情報にはすぐにアクセスできるし、別に知識を記憶していなくても後で簡単に検索して見つけることができる。だから、いまの詰め込み教育、知識記憶型の教育は良くないのだと。

しかし、本当にそうだろうか。本当に「知識を記憶する価値」は無くなってしまったのだろうか。

知識こそ全てのベースとなるもの

最近の論調を解釈すると、暗記力より考える力のほうが大切だという。たしかに考える力は必要だし、暗記ばかりしていては優秀な人間は育ちにくい。

しかし、考えるためには知識が必要だ。豊かな知識は、豊かな思考力を養うためには非常に必要な要素だ。

我々の問題解決の能力も、一般的な頭の良さといったことよりも、直接にはその分野での豊かな構造化された知識があるか否かに依るところが大きい。

「人はいかに学ぶか」より抜粋

 たとえば、雲が出来る現象をただ観察したとしても、なぜ雲が作られるのかを理解することは難しい。しかし、水蒸気は冷えると水滴になるという知識を持っていれば、理解が容易になる。豊かな既存知識は新たな知識を理解する上でとても重要なのだ。

 いきなり創造性を発揮するのは難しい

どんなに優秀な人間でも、今まで誰も想像すらしなかった物を創造するというのは難しい。どんなに創造力豊かな人間でも、その創造性を発揮するための土台が必要だ。それが経験であり、知識であるといえる。

いくら知的好奇心が強い人間でも、いきなり社会にとって新しい知識を創造することは難しい。より成熟した他者と共働きするという文化的準備を必要とすることが多いのである。「いかに人は学ぶか」より

豊かな知識、経験や他人を通して学べる教訓はその人間の創造性をより発揮させるうえで重要な役割を果たしている。

考えるとは、既存の物を2つ以上組み合わせることで新しい発明となることに非常に似ている。模倣と創造は紙一重だが、豊かな知識が豊かな創造性を発揮することは疑いない事実だ。

この世は楽譜のようなもの

この世は楽譜のようなものだ。音符が読めない人にはただの記号だが、音符が読める人には色々なメロディーとなる。

音符という知識が、この世をより意味あるものとして理解させてくれる。だから、この世をより色鮮やかに見たいと考えるなら、知識の記憶は非常に重要なのだ。

人はいかに学ぶか―日常的認知の世界 (中公新書)

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